2021/11/01

小さなターニングポイント

こんばんは。
ハロウィンだというのに
特に何もせず過ごしたので
いつもの日曜日と何も変わらなくなりました。
「日本一踊れる言語聴覚士」
木津玲子です。

 

私は昔
大学を卒業してすぐに
数年間、言語聴覚士として

働きました。

でも、その後
体調を崩して休職、退職して
そこからは言語聴覚士を一度辞め

約12年言語聴覚士から離れました。

 

まぁその12年間のうちに
整形外科のリハビリ助手をしたり
デイサービスの機能訓練指導員をしたり
少しだけリハビリと関わることは
ある程度定期的にはしていましたが

メインでは全然違う業界に関わっていました。

 

そんな違う業界に12年ほどもいながら
(今もちょこっと関わっています)
どうしてリハビリにまた戻ってこられたのか。

よくそんなことを聞かれます。

だいたいは、産休などの場合などを除き
違う理由で退職した場合は
そのまま復帰しない人の方が多い…ということも
聞いたりします。

 

なんでそういう中に
私が復帰したかというと
やはりその大きなきっかけは
父親の闘病であり、亡くなったことだと思います。

 

12年間のブランク中
ずっとフィットネスの業界にいて
「健康産業」だの「日本を元気に」だの
呟いていましたが

 

実際自分の身内に対して
何もできていない自分がいて、
そこに対するもどかしさもあり

さらに
フィットネス業界での
いわゆる「王道」の働き方をすると
健康産業の働き方云々というよりも

 

いかに目の前の人たちに
「楽しさ」「面白さ」「ワクワク感」を
提供するということが
優先順位として高くなっていて

そこの結果が出ないと
フィットネスインストラクターとしては
優秀ではないとみなされる。

 

いわゆる「集客数」をいかに稼ぐか、が
インストラクターとしての良し悪しに直結し
そこでの変な蹴落とし合いも
たくさん経験してきました。

だんだん、自分のやりたいことと
自分の現状というものに
ズレや違和感をその後
どんどん感じていきました。

 

なので、私の場合は
父親が亡くなった後に
そういった違和感を感じたり
そのうちにコロナ禍がやってきて

私の場合はその中で
フィットネス業界での働き方を模索しようというよりも

もうだいぶやり切った感の方が強くて
そこでどうしていくか…としたときに

まぁいろんなご縁をいただいたタイミングと
いうこともありますが、

この心境の中で
もう一度医療の現場を見てみようと
思うようになり復帰しました。

 

なので、父の闘病というのが
私の中での大きなポイントだったと思います。

 

この10月から、
より医療の色が強い
訪問看護リハビリステーションで
勉強も兼ねて働かせていただくことになりました。

 

フィットネスのお仕事は
変わらず大好きです。

でもしばらくはこのような
医療の現場でも働けるような
そんな環境でいるかと思います。

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