こんばんは。
シニアのための健康アドバイザー
「日本一踊れる言語聴覚士」木津玲子です。
今回は、
私の言語聴覚士ストーリーの
完結版を書こうかと思います。
これまでの記事は
こちらから見ていただけると嬉しいです。
一度社員として働いていた
言語聴覚士としての仕事をやめて
そのあとは全く関係のない
フィットネスインストラクターとして
スポーツクラブを中心に働いていました。
ただフィットネスインストラクターとして
働いていく中で、段々と
「調整系レッスンの指導」から始まり
「パーソナルトレーナ」だったり
「介護予防運動」だったりに興味が
出てくるようになりました。
そういった一対一での人との関わりや
より人の身体に寄り添ったことを
やっていきたいと思うようになった中で
整形外科のリハビリ助手の
アルバイトを始めました。
初めての整形外科クリニックのお仕事。
患者さんに何かをする、という機会は
あまり多くはなくて、
低周波のパッド?を当てたり
カルテの振り分けをしたり
時に待合室の患者様の話し相手をしたり
そんな感じのお仕事でした。
それでも実際の理学療法の現場に触れること
患者さんとコミュニケーションをとること
それはものすごく楽しくて
その時は結構
「スーパー助手」並みに働いてました(笑)
そんな中で段々
医療の業界で働くことへの
恐怖感や憂鬱さなどが少しずつなくなっていく中で
「父の死」というのが
また一つ大きなきっかけになりました。
父は在宅で最期を迎えました。
訪問してくださった医師の方、看護師さんたちに
本当にたくさん助けていただけました。
でもその一方で
絶望を感じている自分もいました。
フィットネスインストラクターとして私は
「健康づくりのお手伝い」と言ってきました。
なのに、身内のことを何も
救うことはできなかった…。
その絶望のような感情から、私はより
いろんな体のことを学びたくなりました。
腸のことを習おうとしたきっかけも
ここからでした。
そこからまた医療や介護に
携わりたいという思いが出てくるようになり
一度デイサービスでのリハビリの仕事を
紹介きっかけで3年ほど行い
今の訪問のお仕事に行くことになります。
きっかけはリハビリ助手をしていた時の
上司からの誘いでした。
でも実は
一度やんわり断ったのです(苦笑)。
理由は父の時に
すごく丁寧に関わってくださった
看護師さんたちの印象がとても強かったから。
「自分があのようにできるのか」
そこへの自信がとにかくなかったので
すごく怖かった…というのがあります。
それでも紹介してくださった
以前の上司。
それから今働いている事業所の所長など
いろんな方とやり取りをさせていただいて
今のお仕事に至ります。
のちに実は一度
事業所の所長に、
こんなにブランクがある私を
なぜすぐに雇ってくれたのかを聞いたことがあります。
いくつか理由はありましたが
(私の持っている資格のことや
やはりすでに働いている人からの紹介だったということなど)
その中の一つで言ってくださったのが
「色々とこれまで抱えて生きてきていたような感じがしたから」
「そういう人ならきっと担当する利用者さんや
ご家族を大事にしてくれると思った」
今はそうやって
私に賭けてくれた?事務所には
恩返しをしたい気持ちでいますし、
ブランクも長くてそこまで技術が優れた訳でもない
私を使い続けてくださっていることに
本当に感謝の気持ちもあります。
まずはここまでの感謝の気持ちを
大事に向かい合えたらいいなと
思っています。
以上私の言語聴覚士ヒストリーでした。