こんばんは。
シニアのための健康アドバイザー
「日本一踊れる言語聴覚士」木津玲子です。
さて、ここ何日か
言語聴覚士のお仕事についての
記事を書いてきました。
…ということで、今回は
言語聴覚士ヒストリー その2です。
5年間の重症心身障害児者施設を退職し
次に勤めたのは、
神奈川県の老健でした。
新しく開設した施設…と聞いていて、
それだったらみんなスタートラインで
働けるだろうな、と思っていましたが
結論としては
どこよりも一番きつい仕事でした。
新規開設と言っても、
某大手総合病院グループの
グループ施設で、
職員の多くはそこの系列からの派遣。
リハビリ科では私と、リハビリ助手の子たちだけが
外からの就職で
療法士のみんなは派遣なので、自然と
以前からの知り合いだったりする。
リハビリ科の中では
疎外感を感じることがとても多かったです。
加えて業務とは全く関係のない
仕事が入ることも多く、
施設の納涼祭で、職員が余興をするときに使う
(その余興には私は参加しませんでしたが)
CDを参加職員の人数だけ翌日の朝までに
用意しておくように言われ、
朝1時間以上早く
始発で出勤して、
半泣きになりながらCDを用意したり
施設内の委員会の仕事をなぜか
いくつも掛け持ちさせられ
議事録の作成や、委員会の出席や…で
なかなか自分の臨床の記録まで
時間が回らなかったり
さらにその病院グループでの
行事への付き合いや
本院への研修と、その時の地獄なまでの
レポートの量と…
あの時の私は
めっちゃ根性派でした(苦笑)。
救いの部分としては
フロアの介護職のメンバーとは
比較的うまくいっていて
今でもSNSで繋がりを持っている人も
いるくらいなので
そう言ったフロアの方と
仲良くできていたこと
ご利用者さんとうまくいっていたこと
その辺りが
とてもありがたかったところでした。
でも…
激務と疎外感というところが
どうしても強くなり
自分の中で
バランスを崩してしまい
1年で退職してしまいます。
そのあとはまた
不思議な巡り合わせがあり
自宅近くの療養病院へ
転職することになりました。
病院というところで働くのは
初めてだったのもあり、
これまでとはまた違ったところで
悩むところが多く
病棟とのやり取り、
面会に来ていらっしゃるご家族とのやり取り
これまでにはあまりなかったような
関わり方をしていかないと
いけないことが多かったです。
そのため、小さいストレスから
体調を崩してしまうことが多く
さらにストレスがかかってしまうことで
めまい発作が出てしまったり
過呼吸になってしまったり
就職してから2年後くらいに
そういった過呼吸や、パニック発作のようなものに
ちょこちょこと悩まされるようになり
結果として体調不良から
約3ヵ月休職することになり
一度復職するものの、数カ月で退職。
療養病院へいたのは
約3年間でした。
こうして3カ所でお仕事をさせていただいて
周りと(主に他の職員と)コミュニケーションが
うまくいかなかったり
ついつい自分を誤魔化したり
極度に甘やかしてしまう癖だったり
そういうものにより
一つのところでじっくり何年も…ということが
できずに約9年間
言語聴覚士として働いてきました。
正直一つのところでじっくり働けない…ということが
当時の私にはすごくダメなことに思えて
続けられないことは
自分にも責任があることはよくわかっていて
結果として
私はもうこの仕事をしないほうが
いいのではないか…と思っていて
少し悩んだ上
一度この仕事を辞めることにしました。
そんな私がなぜ
訪問に復職したのか…
そこはまたいずれ
書きたいと思います。