こんばんは。
シニアのための健康アドバイザー
「日本一踊れる言語聴覚士」木津玲子です。
昨日の記事で
言語聴覚士とはどういうお仕事なのかを
書いていきました。
言語聴覚士ってなんだ??
今回は、私が
言語聴覚士としてどういうお仕事を
してきたのか…を
(そんなに書けるほどたくさんはないけど)
ちょっとだけお伝えしようかな、と
思っています。
今でこそ、お仕事のことを
時々偉そうに(苦笑)
書いていたりしますが、
養成校(大学)時代は
そこまで優等生ではありませんでした。
成績は多分中の中〜中の下?
得意科目と苦手科目の差がすごくて
レポートを書くのは
そんなに苦手ではなかったものの
試験はあまり得意では
なかったかもしれません。
でも、就職活動で難航したのは
今思うとそこではなくて
言語聴覚士としてかなり致命的な
部分があったのは事実です。
それは…
圧倒的な
コミュニケーション能力不足
今思うと、それでなんで
言語聴覚士になろうと
していたのか、
個人的にだいぶ謎です(苦笑)。
仲が近くなれば
うまくやっていけるものの
そこまでにものすごく
時間がかかってしまうし
とにかく相手の顔色を
見てしまいがちで、
自分の意見も言えない。
加えて怒られるのが
(注意されてしまうことも含め)
すごく怖かったから
何も報告ができない。
こう書くと、最初の職場の上司は
絶対に大変だっただろうな…と
今は申し訳なさしかありませんが
それでもいろんなご縁が重なり
一番最初に勤めたのは
重症心身障害児者施設のリハビリでした。
一番最初が
重症心身障害児者施設、という
当時の言語聴覚士としては
かなり珍しい就職パターンでしたが
ここでは本当に
ものすごく勉強になることがたくさんでした。
まず今までやったことがないし
ほとんど学校でも教えてもらってこなかった
「身体介護」について教えてもらい
車椅子とベッドの移乗の仕方、
身体が思うように動かないので
そういう方への着替え
オムツの交換や当て方などから
関節可動域のこと
オーダーメイドの車椅子のこと
福祉用具のことなど
たくさん知る機会をいただくことができました。
でもそれまで
あまり小児分野のリハビリが
(学校の成績でも)得意でなかった私には
本当に苦戦することや
自分を見失ってしまうことばかりで
同期で入った言語聴覚士の人が
小児分野のリハビリが得意な子で
どうしても比べて劣等感を感じたり
してしまうことが多かったです。
その同期は多分イマドキ?で言うと
いわゆる「陽キャ」で
そんなにものすごく仲が悪かったわけではないけど
本当にお仕事の関わりだけ、という
感じの付き合い方でした(苦笑)。
その同期が結婚を機に
3年ほどで辞めてしまい
(旦那さんが少し遠方の方だったはず)
ちょうどその頃に
リハビリの施設基準の話が出たりして
新しく物品を買い揃えたり、
リハビリの訓練室の増築?が
あったりして
そのための準備と
年度末の準備が重なり
その時期はめっちゃ大変だったのを
よく覚えています。
当時の上司や先輩方が
助けてくれなかったら
本当に何もできなかったな…
でその後
すごく仕事のできる後輩が
入職してくれたり
(学校の後輩でした、当時私と
同じサークルにいた子とも仲良くて
そういう意味でもすごく
親近感が湧いたことを覚えています)
公にはしていませんが
当時職場の別の部署の方と
お付き合いしていたこともあって
そういう自分の周りの
環境の変化から少しずつ
私の人付き合いも
改善に向けて動いたように
思えてきますが
実は学生時代から
小児分野よりも成人(特に高齢者)の
リハビリに携わりたい思いが強く
就職してまる5年が経ったとき
神奈川県の老健の開設の
お話を受けて
そちらへ転職することになり
今のところを退職することになります。
続く。